リレーコラム
加藤潔からお別れのごあいさつ
おがるの加藤潔です。図々しくも二回続けて登場したのは、2014年4月1日付けで、札幌市自閉症・発達障がい支援センターおがるから別の部署に異動することになったため、みなさまにこれまた図々しくごあいさつをしなければと思ったからであります。ほとんど反響のないコラムだったのですが(当たり前です)、それでも数名の方からいつも温かいリアクションをいただき、秘かにいい気になっておりました。
このコラムからは引退しますので、秘かにいい気になる喜びを味わうことができなくなりますが、お世話になった多くの方々に感謝の意を込めて、引退コラムを書かせていただきたいと思います。
発達障がいの方々に出会っていなかったら、加藤はもっと最低の人間だった
自分で言うのもなんですが、加藤の人間レベルはかなり低いです。ハマカーンが言うところの「下衆の極み」みたいなものです。でも、発達障がいの方々やご家族とお付き合いさせていただく中で、「下衆の極み」から「それなりの下衆」くらいにはなれた気がします(あくまで自己判断なので多分に思い込みかもしれませんが)。
大学を出て7年間は、発達障がいという視点など全くもたないところで仕事をしてきました。それがひょんなことから、発達障がいのお子さんたちとかかわる仕事に就くことに。当時のボクは「愛があれば伝わるのだ」という、佐々木正美先生がおっしゃるところの「一番迷惑な【熱心な無理解者】」そのものでした。強引に近付いては逃げられる、それでも熱心だから性懲りもなくまた近付いていく、そして彼らは困惑する・・・。そんなスタートでした。いわゆる支援センスはほぼゼロの人間なのです。
ただ、支援センスがゼロなりに「こりゃ、愛だけじゃだめだ。ちゃんと学ばないといかん」と思い、とにかく自腹で研修会に出まくり、本を読みまくり、必死でしたね(今でも必死ですよ。それは変わりないです。そんじょそこらの学者さんより本を買ってます)。
そうすると、支援センスはないくせにそれなりに結果が出てしまうこともあって、「下衆の極み」の加藤は「オレっていけるじゃん」と大いなる勘違いをしたまま、彼らが望んでいなかったであろう押し付け支援を展開していたのです。「思い上がり野郎」です。
でも、加藤が幸運だったのは、思い上がっているときに、その思い上がりをこてんぱんにたたきのめしてくれる発達障がいの方々に次々と出会えてきたこと。「思い上がりの極み」にならず、「また一から学ばないといかん」「基礎基本を忘れてはならん」ということを身にしみて感じることができたのは、本当にありがたいことです。
ボクは自分にできる限りの準備をして支援の現場に臨まないと不安で仕方がありません。少なくとも発達障がいの方々の前では「思い上がり野郎」ではなくなりました。「謙虚」や「感謝」ということも少しは理解できるようになりました。発達障がいの方々に出会っていなかったらわからなかったかもしれません。本当に本当にありがたいことです。
僭越ながら、加藤の哲学
本当に僭越で、本当に偉そうで、本当に申し訳ないのですが、引退コラムなので許してください。加藤が「下衆なりに続けてこられた哲学」を三つだけ紹介します(まだまだあるんですけど三つだけにしときます)。
①「二十分の一」の意地
・20回に1回の成功でいい。自分の実力はその程度。それでいい。
・しかし、19回はけっしてあきらめない。19回の試行錯誤は繰り返す。
②片思いの礼儀
・支援職は、利用者の方に対して、先に片思いするのが礼儀。それが仕事。
・相手が自分を好きになってくれるかどうかは単なる結果論であって、どうでもいいこと。自分が片思いしていれば何の問題もない。
③少数派の誇り
・少数派の彼らを支援するボクらも世の中では数的に少数派のはず。
・少数派の誇りを見失うことなく、少数派の彼らに寄り添っていく。
・しかし、多数派の方々に伝えるためのスキルは磨かなくてはならない。
加藤は、次の職場でまた一からがんばります。次の目標は「やや下衆」くらいまで成長することですね。みなさま、本当にお世話になりありがとうございました。
文責 元札幌市自閉症・発達障がい支援センターおがる 加藤 潔