リレーコラム
バリアフリー
皆さんはバリアフリーと言う言葉に、どんなイメージを持っていますか?
障がいを社会モデルでとらえ、社会と本人との間にある障壁(バリア)を取り除くということで、大事なコトと言うか、当たり前のコトというか。それがあること、施されることで、その個々人が持っているそれぞれの特徴が故に、制限が生じないようにする、それがあること、施されることで、出来ることが増え、広がる、のように僕は理解しています。合理的配慮もほぼ同じ意味だと。
このように僕にとっては、すごくポジティヴなもので、あると頑張れる!とか、あると出来る!のようなイメージなのですが、一方では、出来ないこと、苦手なことを補う、配慮するという側面もあるのかなと思います。どっちが正しいとかではないのですが、苦手なことを補うという発想からは、本当は無くて良い物なのにやむを得ず、無きゃ無い方が良いというイメージが生じやすいと思います。そうなると、なるべく使わないように、使わなくても済むようにという方向に向いてしまうのではないかと。
特に教育の分野では、障がいの克服改善というワードがあります。恐らく、このワードのとらえ方次第で、バリアフリーのとらえ方も変わってくるのではと思っています。苦手なことを克服しようというのは悪いことではないような気もしますが、そのことと、特性を活かすとは、どのように両立するのでしょうか。
ASD特性と苦手と成長と発達と学習と支援と指導と配慮、、、 これらをどうあるべきか、どう定義づけるかが、教育と福祉の真の連携の鍵だと思っています。